「百合子、ダスヴィダーニヤ」 前売り券を、ほん吉で買えます。

以前呼びかけをしました、浜野佐知監督の最新作「百合子、ダスヴィダーニヤ」がいよいよ公開です!
オフィシャルサイトで、全国の上映スケジュールをみられます。たのしみ〜。


先ほど浜野監督からチラシと前売り券をお預かりしました。
前売り1500円ですから、差額での二人の文庫を携えて、などということができますね!
東京の上映は渋谷のユーロスペース、ほん吉からもすぐ行けます。


詳しい情報はこちらから。

「百合子、ダスヴィダーニヤ」オフィシャルサイト
http://yycompany.net/

浜野佐知監督最新作『百合子、ダスヴィダーニヤ』を支援する会のブログ
http://d.hatena.ne.jp/hamanosachi/

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棚から少し拾ってみました。2001年刊「女性監督映画の全貌」世界の監督・日本のところで浜野監督が紹介されているページ。

「日本女性文学大事典」は各作家の分量はごくわずかで物足りないかんじですが、字引に便利。
芳子の項目の最期に、
「なお、沢部ひとみ『百合子、ダスヴィダーニヤ』は、レズアン・フェミニストでもあった芳子の半生を浮き彫りにした画期的な書である。」
とあります。百合子の項には、芳子との出会いや共にしたソビエト遊学が、彼女の転機となった由。

百合子全集の別巻(1)は1924-1929の「湯浅芳子宛書簡」です。ほぼ毎回1000文字以上またはその何倍もある長い手紙です。
1924年6月2日「貴女は、私が貴女に対しての傾倒を、それは方便にはよいと仰云ったでしょう。(略)ただ、自分が貴女にだけ持ち得た尊敬、強さに鼓舞される強さをもって、私がなれる丈、純一に生活全般を大掃除して行こうとする丈です。方便ならば、方便であることに本当の価値をつけましょう。」1924年9月19日「この、仕事とさし向いで、黙って、作りあげて行こうという心持、風や明るすぎる光線にさえ邪魔されたくない気持は妙なものね」
1924年9月12日「頭を出すから、おまじないを下さい。いい、丸い、小さいのを。」1929年11月15日「だが、みーろちか、もや!もや!もや!!!ああいやだな。もやに、このべこの気持わかるか?」
読みだすと、仕事にならぬのでここまで。


 と思ったが、さきほど整理していたこまごました紙の中に、明治後半の、師範学校女子部の「生徒外出簿」がありました。

何時に家を出て何時に学校に着いたか、何時に学校を出て何時に家に着いたかが、それを保証する保護者の印をつけて細かくあります。
一緒に写っているのが明治41年の「日露戦史問題答案」、明治35年「四ツ目屋事件と現今の学説」(女学校の教科書に「四ツ目屋」という文字が載っているのが云々、)。

昭和6年発行の「婦人公論大学」女子も教育を持たなきゃならんとの全集で、内容見本によると巻立てはこうです。
「戀愛篇」「結婚準備篇」「社会科学篇」「手藝篇」「政治経済篇」「家庭生活篇」「音楽篇」「育兒篇」「近代文学篇」「料理篇」「最新科学篇」「住宅篇」「スポーツ篇」「美容科学篇」「演劇映画篇」「服飾篇」「結婚篇」「婦人職業篇」「社交篇」「家庭医学篇」
刊行者の言葉によると、「台所で野菜を買入れる消費経済の心得から、良人が会社を馘首になっても狼狽せぬだけの社会意識。甘い言葉で云ひ寄る男の中、どれがほんとうの戀愛の相手であるかを見きはめるだけの心の餘裕、」
同時期の雑誌の記事では、実物を見失ってしまったので、かいつまんで云うと
「女も教養がなきゃいかん、このご時世働かなきゃならん、女の前に人間であることは尤もだ、がしかし、有能でなくてはならないが男の仕事を分捕るようではいかん、家庭が二の次では困る」
すでに顕われている女の実際と、一般のこうあるべしがかけ離れています。
むしろ現代と当時の女性、現代と当時の外圧のほうがすぐ近くにあります。


湯浅芳子明治29年宮本百合子明治32年生まれ。津田梅子の女子英学塾設立が明治33年、「青鞜」創刊が明治44年
日露戦争明治37年関東大震災大正12年日中戦争昭和12年

左が明治末から大正、右が昭和戦前の雑誌。
青鞜や女人芸術がないところが残念ですがないのでしょうがない。風俗のイメージ。


あまりにもざっくりで手近にあるもので申し訳ないのですが、二人が生まれ青春を過ごしたのはこんな時代。